カリスマセミナー #02
伝道に無力さを感じるときに ポイントは聖霊のバプテスマ
パウロ秋元牧師
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。
使徒の働き 1章8節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会
カリスマセミナー #02
伝道に無力さを感じるときに ポイントは聖霊のバプテスマ
パウロ秋元牧師
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。
使徒の働き 1章8節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会
パウロ秋元のありえない話 #46
息子が学校で受けた不当な処分 全てを感謝して大逆転の結末
1分でわかるクリスチャンのキーポイント
復興ローマ帝国
聖書を見ると、終末の時代はヨーロッパが世界の中心になることがわかります。
中東和平に関しても、現在はアメリカが中心的に動いているように見えますが、成功させるのはヨーロッパから出る反キリストです。
さて、黙示録にはローマ帝国が再び現れてくることが予告されています。
13章1節に出てくる「獣」が何百年も前に滅びたはずのローマ帝国を表していて、このローマ帝国が世界をリードしていくことになります。
そして、ローマ帝国はすでにその姿を現し始めています。それはEUです。
EUはヨーロッパを統合しようとする新しい試みでしたが、その地域と民族は、明らかにかつてのローマ帝国と合致します。
また、EU内での出入国審査の廃止による行き来の自由や、統一通貨ユーロなど、既に1つの国に向かって進んでいます。
このEUは、患難時代の真ん中で一つの国となります。その国がEUと名乗るかどうかはわかりませんが、これがローマ帝国の再来です。そして、復興したローマ帝国、つまり、ヨーロッパが世界の中心になるのです。
しかし、このEUには注意しなければなりません。
黙示録12:3に「見よ。大きな赤い竜である。7つの頭と10本の角とを持ち」とありますが、これはサタンを指しています。さらに13:1はEU、つまり、復興ローマ帝国を表していますが、「海から一匹の獣が上(のぼ)って来た。これには10本の角と7つの頭とがあった」とあるようにサタンと同じ表現が用いられています。
つまり、EUはサタン的実質を持った国として描かれているのです。
復興ローマ帝国は反キリストをリーダーとして全世界を支配するようになります。
1分でわかるクリスチャンのキーポイント
テーマ:白い馬
黙示録の中心部分は、白馬(6章)で始まり、白馬(19章)で終わっていて、白馬が特別なポイントとなっています。
そしてこの白い馬に乗っている方がいます。
その乗っている方とは誰でしょうか?
まずは、黙示録19章11〜16節から見ていきましょう。
ここで白馬に乗った方は、「忠実また真実」「神の言葉」「王の王」と表現されていますから、まさに主の実質を表した言葉です。
つまり、乗っているのはキリストであることがわかります。(キリストに従ってクリスチャンも神の軍となって再臨の時反キリストと戦い、キリストの軍が圧倒的な勝利を得るのです。)
次に、6章2節ですが、弓が戦いを表すということと、白い馬の後に赤い馬、黒い馬、青ざめた馬と、いずれも悪いことばかりが続くことから、6章の白い馬に乗るのは反キリストだとする説がありますが、19章でも戦いの表現はありますし、裁きのはずの封印やラッパにも裁きでないことが含まれているので、それらは妥当ではありません。
しかも、反キリストは、第4の封印の青ざめた馬の所で獣として出て来るので、封印の裁きに2度反キリストがでてくることはないでしょう。
むしろ、キリストと考えれば、19章と同じ白い馬に乗っていますし、黙示録では白は全て義を表すものとして使われていることを見ても妥当と考えられます。
また、6章、19章とも冠が与えられているところも同じです。
以上から、6章の白馬に乗る方もキリストであり、白馬に乗る者の勝利は、キリストの勝利、宣教の勝利を表します。
患難時代の初めに、キリストによる勝利、つまり、使徒の働き2章のヨエルの預言の成就である、後の雨リバイバルの本格的な激しい働きが起こり、宣教の働きが全世界に一気に進んでいくのです。
白馬は、まさにキリストの勝利が大きく現れる象徴なのです。トの勝利が大きく現れる象徴なのです。
1分でわかるクリスチャンのキーポイント
テーマ:反キリスト②
反キリストは、復興ローマ帝国、つまりヨーロッパから出てきます。
彼は、EUのリーダーとして頭角を現してきた時、EUの3人のリーダー、政敵を打ち倒します。聖書では打ち倒すとあるので、政争で勝つというような生易しいことではないでしょう。場合によっては、3人の政敵を殺してしまうのかもしれません。ともあれ、力をもって政敵に打ち勝つのです。その結果、彼は、ヨーロッパを支配することになります。
しかも、彼に象徴的な出来事が起こります。黙示録13章3節、4節にあるように、暗殺かテロに遭い、もうダメかというところまでいくと思われます。世界の人々が死ぬのではと思ったにもかかわらず、彼は、奇跡的な形で回復します。復活ではありませんが、サタンはあたかも復活したかのように見せるのです。それを世界中の人々が見て、驚き、反キリストはさらなる圧倒的な人気と、圧倒的な力を持つようになります。彼は、礼拝の対象になるほどの圧倒的な力を持つようになります。
また、反キリストは、けがれた口で、大口を叩きます。彼は、聖所に自分の座を設けるだけではなく、神と携挙されたクリスチャンをののしります。
このように患難時代に神に逆らって猛威を振るう反キリストですが、最後はキリストの地上再臨の時に、キリスト軍の前に完全に敗北し、偽キリストとともにゲヘナに投げ込まれることになります。神の圧倒的な勝利が現されるのです。
1分でわかるクリスチャンのキーポイント
テーマ:反キリスト①
反キリストは、7年間の患難時代に台頭する、世界のリーダーでありキリストの敵です。
彼の後ろにはサタンがいて、全世界を支配し、クリスチャンを迫害し、神になろうとします。
その反キリストが聖書で最初に出てくるのはダニエル書9章26節、27節です。
この「来るべき君主」が、反キリストと思われ、彼によって中東和平が締結されます。
中東地域に平和が来たという喜びの報道がなされ、その立役者となった反キリストは平和の使者として、また、新しい時代を切り開く有能なリーダーとして絶賛されることになると思われます。しかし、皮肉なことにそれは平和のスタートではなく、患難時代のスタートとなり、殺戮と死と迫害の時代の入り口となるのです。
この反キリストは、患難時代前半の第4の封印、青ざめた馬のところで獣として出てきます。普通、獣といって頭に浮かぶライオンとかトラなどで何千、何億も人は死にません。また、黙示録で獣と呼ばれているのは反キリストと偽キリストとローマ帝国ですが、偽キリストは反キリストに従いますし、ローマ帝国の支配者は反キリストです。つまり、この獣は、反キリストを示唆していると思われます。
この後に開かれる第5の封印では反キリストによって殺され、殉教したクリスチャンの裁きを求める叫びが出てきます。患難時代前半においても反キリストによる粛清、反キリストによるクリスチャンの大量虐殺が起こるのではないかと思われます。患難時代前半に活躍する2人の預言者も反キリストによって殺され、3日後に復活するまでエルサレムにさらされます。
さらに、ダニエル書12章7節、黙示録13章5節、7節を見ると、反キリストが42か月間、つまり3年半の大患難時代に活動する権威が与えられ、一時的ではありますが、聖徒に打ち勝つことが許されるとあります。患難時代前半よりもクリスチャン迫害はさらに厳しいものとなり、反キリストを拝まず、獣の刻印を受けない者はみな殺されて、殉教することになります。
私は新潟で生まれ、その後父の転勤で横浜に移り住みました。そこでの生活は非常に楽しかった思い出があります。
しかし、小学4年生の時、父が今まで勤めていた会社を辞めて、父の実家で祖父母と同居することになり、三重に引っ越しました。
そこでは、祖父母と母の関係がうまくいかず、家の中はいつもおかしな
雰囲気で、私は早く大人になってここから出て行きたいと思っていました。さらに高校に進んでからは、人間関係で悩み、学校に行けなくなってしまった時期があり、ますますここから出て行きたいという思いは強くなりました。何をして生きていったらいいのかと考えるようになり、心は大変傷付いていました。そこで私は、親の反対を押し切って東京の大学を受験し、上京したのです。
大学生活は表面的には楽しかったのですが、私の心の傷がいやされることはありませんでした。そんな時、大学の同じクラブの一つ上の先輩とお付き合いすることになったのです。それが今の主人です。彼は自分がクリスチャンで教会に行っていると話してくれました。さらに、彼が抱えていた問題をイエス様が解決して下さったということを聞き、この神様なら私の心の傷の問題も解決してくれるのかもしれないと思うようになったのです
しばらくして、彼に誘われて教会の礼拝に出席するようになり、教会でなされていた賛美やメッセージに触れられ、私はイエス・キリストを救い主として信じ救われました。私の心の傷をいやして下さるのはこの方だということもはっきりわかり、非常に大きな喜びで満たされていきました。
教会に行き始めた頃、私たちは彼の母教会であるペンテコステ系の教会と、主の十字架クリスチャンセンターキリストの町教会(現・東京アンテオケ教会)の2つの教会を行き来していました。彼は自分の抱えていた問題の解決を求めて主の十字架クリスチャンセンターに導かれ、解決が与えられたのです。しかし、それにもかかわらず、「主の十字架の教会に所属してしまったら、自分は神様に献身を導かれるに違いないから。」と言って、主の十字架の教会に行くことから逃げてばかりでした。
私の方は、深い賛美の恵みや、賜物の働きが顕著に現され、行くたびに生きた神様の証しを聞くことができた主の十字架の教会に行きたいと思っていたのですが。
救われているのにどこの教会にも所属できない中途半端な状態がしばらく続きましたが、このままの状態をもうこれ以上続けられないということで、どこの教会に所属すべきか、私たちは神様に真剣に真剣に祈りました。そうしましたら、ふたりとも、「主の十字架クリスチャンセンターキリストの町教会(現・東京アンテオケ教会)」という神様からの明確な語りかけを祈りの中で受けたのです。その語りかけを受けて彼の方もようやく決心がついたようで、私たちはついに正式に主の十字架クリスチャンセンターキリストの町教会(現・東京アンテオケ教会)に所属することになり、1996年8月、私は洗礼を受けることができました。
その後、教会で語られた知恵・知識のことばを通して、「主に祈り聞き従う中であなたの傷をいやします。」という語りかけを受けました。私はしっかりと教会に属し、奉仕をさせていただく中で、また、信仰生活の一つひとつのことを通して神様に祈り聞き従い、神様を体験していく中で心の傷がいやされていきました。神様のために生きれる、神様のために働かせていただくことができることが、私には嬉しくてたまりませんでした。そして、私と彼は献身へと導かれていきました。
1999年11月、教会から遣わされたイスラエルチームに参加させていただいた時、彼との結婚が明確に示され、翌年2000年2月に結婚が導かれました。これからは二人で神様に仕えていくことができるという喜びで私はいっぱいでした。
結婚した当初、主人は早く子供が欲しいと思っていたようですが、私はまだ二人の時間を楽しみたいし、今の生活で精一杯だから、少し落ち着いてきてから子供のことは考えたいと思っていました。そして少し時がたって、私の方もそろそろ子供のことを真剣に考えていきたいと思い始めていた頃、突然ある問題が起こり、その事をきっかけに私は心の病にかかってしまったのです。
病院で私はうつ病と診断されました。そこから教会で病のためにいやしの祈りをしてもらいつつ、病院に通って治療を受ける生活が始まりました。起こってしまった問題の大きさと、許された病のゆえに、今まで語られてきた神様の約束のことばや、召しのことがもう成就するのが不可能なのではないかと私には思われました。そして、欲しいと思い始めていた子供も、もう無理なのではないかと思われたのです。もちろんうつ病を克服している方はたくさんいますが、その時の自分の状況を見るとどうしてもそう思えてならなかったのです。私は、悲しみと大きな絶望感の中にありました。
しかし、病気になってしばらくして、家で一人で力なく聖書を読んでいたときのことです。通読箇所を読んでいると一つの御言葉が心にとまりました。それは、マタイの福音書2章20節、「立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地に行きなさい。」ということばでした。私たち夫婦には、海外宣教の召しが神様から語られており、その中でも特にイスラエルに重荷が与えられています。なので、この御言葉を読んだ時、「神様が、召しの国に私たちを遣わされる時、子供が与えられて家族で遣わすと言っておられるんじゃないか。」という思いが与えられたのです。私はこの御言葉を握りました。
この御言葉が与えられてからすぐに、病院でカウンセリングを担当して下さっていた先生に、「子供が欲しいんです。」ということを話しました。ところが先生からは、私が期待していたのとは全く違う答えが返ってきたのです。
「妹さんの子供をかわいがればいいじゃない?子供なんて手がかかるだけだよ。第一、今産んであなたは育てていけるの?」
私のことを心配して言ってくれているのはわかりましたし、先生の言葉はその通りだと思わされました。その時の私はたくさんの薬を飲んでいましたし、もともと得意でなかった家事全般をすることに非常なストレスを感じるようになっており、家のことが何もできない状態にあったのです。子供を産んでも育てていくことは無理だと自分でも思いました。やっぱり子供が欲しいなんて考えてはいけないのかなと悲しくなりましたが、「神様が語られているなら、この御言葉を握りたい、握らせて下さい。」と神様に祈ったのです
2005年11月、私たち夫婦は神様に語られて教会から遣わされるイスラエルチームに参加しました。行く先々でもたれる礼拝の中に神様の深いご臨在が現され、非常に祝福を受けました。
その中で、アルベル山という、イエス様が弟子たちに大宣教命令を語られたという山での礼拝の時のことです。賛美をしている時、今までにない強い臨在を感じ、まさに主が今ここにともにいて下さるということを強く体験しました。
その後、黙想の時が持たれ、開いた聖書の通読箇所が、マタイ2章20節のことばだったのです。非常に強い臨在の中で語られたので、今度は確かに神様が語っておられると確信して、この御言葉をしっかりと握ることができました。
さらに2006年3月、今度はアメリカチームに夫婦で行くように語りかけを受け、参加させていただきました。ある場所でチームで礼拝を持ち、賛美の深いご臨在の後、黙想の時が持たれました。私は神様に、「今、神様が私に与えて下さる約束の言葉は何ですか?」と祈りながら聖書の通読箇所を読んでいました。すると、ローマ人への手紙9章9節、「約束のみことばはこうです。『私は来年の今ごろ来ます。』」という御言葉が明確に与えられたのです。ここはアブラハムとサラに来年子供が生まれると神様が語られた箇所ですが、この言葉を通して、来年の今ごろ子供が与えられているのではないだろうか?という思いが与えられたのです。私はこの言葉をしっかりと握りました。
すぐに状況が変わった訳ではありませんでしたが、その年の終わりになって、病気の状態が驚くほど良くなっていったのです。その頃主人の方にも子供が与えられるという示しが与えられました。そしてそれまで5年間、増えはしても減ることのなかったうつ病の薬が初めて減ったのです。
私たち夫婦は主治医の先生に、「子供が欲しいんです。」と話しました。すると先生が、「病状がとても良くなっているので、その方向でがんばっていきましょう。」と言って下さいました。
年が明けてすぐ、体調がすぐれず、自分の休みの日に病院に行こうと思っていました。
病院に行く日の朝、教会のデボーションの聖書の箇所を開きましたら、それがローマ9章で、9節の「私は来年の今ごろ来ます。」と約束の言葉が再び語られました。「もしかしたら。」と思って病院に行きましたら、その時子供が与えられたということがわかったのです。
2007年9月、私は無事に娘を出産しました。娘は元気に育っています。また、できなくなっていた家事もできるようになり、主人も驚くほどのいやしと回復も受けています。私たちは今、主にある喜びで本当に満たされているのです。
「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」 詩篇119篇71節
病気や問題が許されましたが、その中で神様の深い愛と神様の言葉がいかに真実であるかを、私は知ることができました。召しのことばの成就はまだこれからですが、不可能と思えるところから神様が子供を与えて下さり、ことばを成就して下さったように、主の時に成就することを信じています。
すべての栄光を神様にお帰しします。
エルサレム藤井文
(月刊「雲の間にある虹」2009年8月号(雲の間にある虹出版発行)より転載)
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